うさぎを絞めて解体して食べました。
もう一回言います、うさぎを解体して食べた話です。
ありのままに写真も撮影しています、見たくない人は見ないでください。
生きることは食べることです。
僕は狩猟に関する撮影を仕事だけでなく作品としても撮影しているので、
知り合いになった猟師や農家の人に普段から
「なにか珍しいことをするときは撮影させてください。」
なんて挨拶のように声をかけている。
その甲斐があって友人からうさぎを食べるから来ないか?と誘われた。
あきる野猟友会に所属する僕と同じ年齢のハンターの小川さん。
彼は銃での狩猟免許だけでなく、罠の免許も所持している。
都会からあきる野市に移住して奥さんと子どもと住んで、片道2時間会社のある都心まで通っている。
その珍しいライフスタイルから「サラリーマン猟師」と名乗り、
新聞社をはじめいろいろな媒体で取材をうけている人だ。
Twitterで若いハンターだけを集めてジビエ料理屋でオフ会を開催したり、
鶏を屠殺して食べるワークショップなんかも開催している。
SNSを利用するあたりが現代的で面白い。
射撃会を開催するしか能がない猟友会には真似できないフットワークの軽さがある。
僕が一番面白いと思ったのが小川さんの提案する罠シェアリングだ。
東京都では近年罠猟の免許取得者が激増している。
ただ実際には活動しないペーパーハンターが多いのが実情だ。
活動しないというよりも都内では諸問題から活動できないっていう方が正しい。
それを解消すべく提案したのが罠シェアリング。
詳しくはこちらを参照してください。
実際に解体する農家に移動した。
農家で家畜として飼育されたうさぎを5人で解体する。
ダンボールのなかに生きたうさぎが2羽いた。
うさぎは美味しい。
僕は今までに一度だけうさぎを獲ったことがある。
獲らなくても小洒落たレストランでも出てくるし、ネットで通販することもできる。
そもそもなんでうさぎの数え方は「匹」でも「頭」でもなく「羽」なのか?
鳥じゃあるまいしなぜ「羽」なのか? うさぎに羽は無い。
昔のお坊さんはうさぎが美味しいことは知っていたが、獣の肉を食べることが許されていなかった。
どうしてもうさぎを食べたい坊さん達はうさぎを鳥っていうことに無理やりして食べていたらしい。
お役所的な感じというか、とにかく日本的な発想だ。
つまりそんな理屈を捏ねてでもうさぎを食べたい、うさぎが美味しいっていうことなんです。
でも、うさぎを食べたことを公表するにはちょっと覚悟がいる。
バッシングに耐える覚悟だ。
スズメバチやゴキブリやネズミを駆除することをバッシングする人はいない。
でも野良猫や鹿、熊なんかを駆除したらバッシングする人は多い。
理由は簡単、見た目とイメージがかわいいからだ。
カラスを食べたことを公表しても批判はされない。
むしろ興味深々に肯定的に話を聞いてくる人が多い。
でもうさぎは違う、かわいいからだ。
味の話じゃない、見た目の話だ。
僕はバッシングしてくる人を相手にしないことにしている。
前に動物愛誤な人と議論したことがあるけど、話は平行線にしかならなかったからだ。
どんなにわかりやすく丁寧に説明しても相手が感情論だけで理解しようとする気がなければ無駄だ。
可哀想だ!!と言いつつスーパーで売られてる肉を買って食ってるような人にバッシングされても相手にしない、そういう人は簡単な想像力すら持っていない人だから。
動物を食べなくても人間は生きられる!!なんて言いつつスーパーで売られてる野菜を買って食ってる人にバッシングされても相手にしない、そういう人は少し複雑な想像力を持っていない人だから。
人間が野菜だけで生活するならまず、野生動物をいまよりもっともっと駆除しないといけない。
なぜなら野生動物が最大の人間のライバルになるからだ。
野菜をつくるためにどれだけの野生動物を殺しているか。
人間が生きるというのは、絶対になにかしらの命を頂かなければ成り立たない。
だから命に感謝する。
そんなことにも気づかない人にバッシングされてもなんとも思わない。
でも「可哀想」って感情は間違っていない、正しいと思う。
僕だって動物を獲ると可哀想だと感じる。
低価格で安定した供給するための効率的な畜産の実態や、殺処分される動物、ペットショップで売れ残った商品達のその後の実態を知ると可哀想だと思う。
生きたうさぎを気絶させる。
いきなり刃物を使うのは暴れて危ないので頭を鉄棒で殴る。
ここで躊躇しては絶対にいけない、渾身の力で振り下ろす。
たぶん気絶どころか死んだ気がする。
動物って死ぬと目が変わるのでなんとなくわかる。
不思議と動物は死んでも目を閉じない。
首にナイフを入れて逆さにして血を抜く。
血を抜かないと肉がレバーっぽい感じの血の味になってしまう。
よく野生の肉が臭いって言われる理由の一つがこれだ、血抜きを失敗すると臭くなる。
あたりまえだけど体の大きさに比例して血の量は増える。
鹿を解体すると何リットルもの血が出る。
鴨はほんのちょっとしか出ない。うさぎはコップ一杯ぶんぐらいしか出ない。
お腹にナイフを入れて内臓をとりだす。
膀胱と腸の内容物が出ないように気をつける。
初めて動物を解体する人のために小川さんが丁寧に一つ一つ説明してくれる。
内臓を全部出したら川の水で冷やす。
この日は暑かったけど、さすがに川の水は冷たい。
冷えたら皮を剥ぐ。
服を脱がせるように、皮と肉の間にナイフをいれて剥ぐ。
皮は塩漬けにして後日毛皮にするそうだ。
毛皮も最近では批判の対象になっているけど、副産物の毛皮を捨てるほうがもったいない。
フェイクファーの手触りや質感はリアルファーの足元にも及ばない。
「リアルファーは生きたまま毛皮を剥がすから残酷だ!!残酷だと思ったらシェア⭐︎」
なんて投稿をSNSでたまに見かける。
普通に考えて生きて暴れる動物からナイフ片手に毛皮を剥がすことは危なくてできない。
筋肉も収縮して作業しにくく毛皮もボロボロになって商品価値を失う。
しかも血抜き出来てないから肉質も落ちる。
普通に考えれば分かるウソだ。
ちょっと想像力を働かせればわかることなのに目をつぶって現実をみない。
なにごとも知ればウソを見抜ける。
ネットでちょっと調べると、生きたまま皮を剥がされて鳴き叫ぶうさぎってのが出てくる。
とても残酷な動画で心が痛む。しかし皮を剥がされているのではなくて毛を毟られているのだ。
毛が目的だから屠殺はしない、羊とおなじ理論だ。
バリカン使えばいいものをなぜか手で毟ってるので非難されるべきだけど、
リアルファーとは似ているようでまったく違う次元の話だ。
足と頭を外す。
足はお守りになる。
ラビットフットと呼ばれイギリスなんかではわりとメジャーなお守りだ。
うさぎは繁殖力が高いので、お守りに持つと子宝に恵まれるらしい。
頭は地中に埋めれば分解されて骨だけになり、標本になる。
剥いだ皮と頭にスズメバチがやってきた。
近くに巣があるのか7~8匹近くいる。キイロスズメバチだ。
皮についた肉と目玉をかじっている。
動物って死んだ瞬間に他の動物の餌になる、不思議だ。
人間だって例外じゃない、土葬していた時代はよく熊に墓を掘り起こされて遺体を食われていた。
熊がどんぐりやハチミツを主食にしているってのは幻想で、熊の主食は死肉だ。
内臓と毛皮と足と頭が無くなると完全に肉だ。
このあたりで美味しそうに見えてくる。
骨から肉を取り分けて、そのまま料理をする。
美味い、本当に美味しい。
うさぎを食べてブログが大炎上した人が、うさぎはかわいい味って表現した理由がわかる。
ジビエの中ではかなりやさしい味がする。
この農家の人はうさぎ繁殖業者から購入したものを家畜として繁殖させている。
繁殖業者はペットショップに卸すだけでなく、生き餌として販売したり研究実験用にも販売している。
動物園のライオンだって生き餌として週に一回ぐらい元気なうさぎを与えられたりする。
最近では批判が多くなってきたので減ってきたようだけど、化粧品メーカーなどの商品開発の現場にも実験用としてうさぎがいる。
そういう裏側を見せないようにしているから気づかないことかもしれないけど、
ペットとして愛情をもって飼われているうさぎは間違いなく幸せなうさぎだ。
うさぎを飼ってる人は大事に育ててほしい。
飼えなくなっても山に放しては絶対にダメだ。
広島県に「うさぎ島」と呼ばれる島がある。
大久野島という正式な名前があるが大量の野生のうさぎがいるためうさぎ島なんて呼ばれる。
なんでうさぎが大量にいるかというと40年ほど前にたった8羽のペットだったうさぎを放したからだ。
かわいい顔して、生態系を壊してしまうのだ。
アライグマも同じだ、近年アライグマが激増して農作物が荒らされまくっている。
アライグマはもともと日本にはいない動物だった。
TVアニメ「ラスカル」の人気でペットとして欲しがる人が増えた。
でもアライグマは気性が荒くペットに向かないため、困った飼い主はアニメと同様に山へ放したのだ。
その結果農家の被害は増え、猟友会や行政が批判を受けながら罠を仕掛けて捕殺するに至っている。
「動物だって生きるために必死なんだ」なんてお決まりのフレーズが聴こえてくる。
そういう人はぜひ家の鍵をかけないで、ドアも開けっぱなしで生活してほしい。
生きるために必死な人間が部屋を荒らしてくれる。
「ペットを飼うなら責任を持って」なんて言葉がある。
この責任って意味は責任もって最後まで面倒みろって意味だけど、
面倒見れないなら責任もって殺せって意味でもある。
結局、人間の勝手で生態系が崩れたんだと思う、だから人間の手で生態系を戻さないといけない。
そんなことを考えさせられるうさぎ食事会でした。